見えない壁を

 

お久しぶりです、戸村サキです。
体調が不良っていうか893で、九月はほとんどお休みをいただいておりました。

まめたくんも忙しいようで、更新が滞って申し訳ありません。
私ばっかり更新してもなぁと思うのですが、まあいいさ、書くぜい。

言葉、教科書、否定体験

まめたくんたちの呼びかけで、教科書の異性愛オンリーの表記を修正するためのパブリックコメントを書いた。
結果がどうなるか分からないけど、少しでも傷つく子供が減るといいなぁと思う。

私は23歳までトランスに近い状態だったわけだけど、「性同一性障害」っていう単語が出てきた時は、

「え! これ俺じゃん!!」

と思った。最初はね。
でも、その頃に知り合った、本気で胸を切り落とそうとしたりホルモン療法を望んでるFtMの友人を見たら、

「俺はそこまでではないかもしれない」

ってなっちゃって、

「じゃあ俺は何なの?」

みたいに少なからず「はみだしてる感」を覚えたのね。

トランスジェンダーって言葉に出会ったのはその後で、その当時は定義も今みたいにハッキリしてなかったんだけど、正直、安心した。

「自分だけじゃなかったんだな」

って思えたので。

言葉はとても重要。でも今よくよく考えると、そこまでして自分を特定のトライブ・カテゴリーに当てはめなくても良かったのかな、とも思う。
「人になんと言われようと、自分は自分」って考えられたら楽だ。

だけど、教科書を読んで世界について、人間について学んでいる最中の子供たちからすれば、「教科書」っていうのは、けっこう絶対的な「正義」だ。それに「否定」されてしまったら、とても傷つくと思うし、自分が異常なんじゃないかって悩んだり、もっと酷ければ「生きていてはいけない」とまで思ってしまうかもしれない。

そういう子たちのために、多様な性があるんだよってことを、他ならぬ学校・教科書が教えれば、状況は大きく変わると思う。

何が言いたいかというと、改訂されるといいなってことと、まめたくんやパブコメ書いた人お疲れ様ってこと。

 

見えない壁

それに関連する話なんだけど、パブコメを書く時、少なからず思ったことがある。

「私みたいに当事者じゃない人間が書いていいんだろうか?」

っていう、ちょっとした逡巡。
そういう問題に関心のある友人数名にも応援を頼んだんだけど、みんな最初はちょっと戸惑っていたように思う。
もちろん、意識はあるのだ。どんな人間も、少しでも生きやすくなりますようにっていう意識。

LGBTやセクマイ、そして精神疾患はデリケートな話題だ。
そこに私は、普段は存在にすら気づけない、見えない壁を見た。

「当事者じゃないから」

「部外者だから」

「自分は違うから」

いくらLGBTや精神障害に寛大でそれらに悩む人々を微力ながら助けたいと思う人々でも、こう思ってしまうんじゃないだろうか。

っていうか、私もパブコメ書く時に、少し思ってしまった。
それでも私が書いたのは、

「私自身の問題ではなく、改訂のための数として必要だろう」

という考えが勝ったからだ。

アライであったり、セクマイのみならず精神疾患や難病やその他さまざまなマイノリティについて「理解したい、分かりたい、仲良くやりたい」といった感情を持っている人間ですらそういった見えない壁を感じてしまうのだから、関心のない層はもっともっと分厚くて固い、ごつい壁に囲まれているんじゃないだろうか。

そういった壁を、ぶっ壊したり、またいだり、色んな方法で乗り越えて、色んな人々に出会いたいと、私は希求してるよ。

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