彼が長生きしたい理由

 

人間が、最も多く接する死体は、セミだと思う今日この頃。まだ7月なのにね。

さて。仕事と活動ができるぐらい、SLE患者としてはかなり恵まれたほうの自分でも、病気になってから、死のイメージは自分の毎日の中にいつもぴったりくっついていて、そのイメージは「おまえは死ぬんだから、いつ動けなくなるかわからないのだから、なるべく省エネで、たくさん、効率的に、いいことをやるのだ」とプレッシャーをかけてきた。

でも、生きたいのと同じぐらい、死んでもいいってのも本当は大事なんじゃないかと思うようになった。これは、いまの社会では賛同の得にくい感覚だろうけれど。

人間はままならないものだし、たくさんエネルギーかけて「生きたい」にしがみつくなら、死んでもいいって思っときたい。死にたいわけじゃないけど、生きいそぐのもいやなんだ。

てか、人間いつかは死ぬし。

SLEになって入院する前の日のこと。まだ診断確定してない時期だったが、自己抗体になりきったイメージと、自己抗体にやられる自分のイメージを浮かべた。

これは、私がハマっているプロセスワーク心理学に、身体症状をワークすると、そのメッセージが分かるといった考え方があるためだ。

イメージをしてみると、攻撃されている自分の体を守るイメージよりも、自己抗体になりきったほうが、めちゃくちゃパワフルで、楽しくて、どんどん自己破壊いこうぜ、と強くこぶしを握る感じだった。38度ぐらい熱あったのにね。

身体症状がどんなシグナルを意味するのかについて、別の本を読んだときには「SLEは死にたい人がなる病気だ」と書いてあった。

なんかピンとこねーなということをそのときは思った。それが単に、自殺という意味ならば、だからなんだという気がしたのだ。死にたい気持ちが、自分の中で問題を起こしているとは思えなかった。

ただ、自殺とは別の意味で、死ぬことにもう少し親和性高めたほうがいいんじゃないかと最近思っている。

ここでいう死とは、変わること、自分を危険にさらすこと、自分のアイデンティティから離れること、怖いと感じることだ。それらについて、もっと自由な気持ちで接することができたらと思う。

自分の場合、生きること、あるいはアピールし続けない限りは、殺されてしまうと思うことがあまりに多すぎて、人生ずっとそのパターンだった。

でもそうだけじゃなくて、死ぬことについても許されたいなって、ちょっと思う。生き急ぐな、というのは、ぶっちゃけ死んでもいいって言われないとわかんない。

もうすぐ8月。

今年出会った被爆者のおじいさんの言葉は

「核兵器に反対するということは、長生きすることです」

だった。私は、その意味がすごくわかるから、なんだか涙が出そうになった。彼は自分だから。彼が長生きしたい理由は、私と同じなのだ。

彼へのアンサーはきっと、あの碑に刻まれた
「やすらかに眠ってください。あやまちは、繰り返しませぬから。」じゃないのかな。

生きる人にも使えたらいいのにと思う。

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