未来は想像できないのだから

 

サボテンが赤い花をつけたんだ

おいらには10代の頃、とてもかわいい彼女がいた。

その彼女は、ロックが好きで、すすめてくるCDは全てサイコーで、自傷を繰り返していた(おいらが、もともと戸村っちの連載「傷の数だけ理由(ワケ)がある」を熱心に読んでいたのは、そのせいでもある)。

彼女のうつ病が、とてつもなくひどくなった頃、誕生日に植物をあげたことがある。

19歳の5月で、すぐに枯れた。

水をあげる力も、水をあげることを覚えているだけの脳みそのメモリも、彼女にはなかったからだ。

 

やがて25歳ぐらいになった頃、再会した彼女は

「サボテンについた花が、真っ赤で気持ち悪いんだ」

と言って、笑っていた。

 

人って、変わるんだと思った。

サボテン、育てられるんだな。

人って、よくなることもあるんだと思った。

彼女は結局蒸発しちゃったんだけど、また再会できた。

で、病気って、なおることもあるんだと思った。

てっきり、そいつのことを「死んでいるかもしれない」と思っていた。

 

10代の頃、20代前半の頃。圧倒されるような場面で、ぐるぐるとまわっているときにはわからなかった。

アラサーになって、ようやく「人って、回復するんだな」ってことが、たまにわかるようになった。

 

もっとも、結局、ぜんぶがまるっきりヘルシーでハッピーでナイスってわけじゃ全然なくって、おいらたちは上手くいかなかった。

10代の恋というのは、絶対に、破たんしてこそナンボなのである。

 

自己抗体と、私

「自分の未来は、まっくらなんじゃないか」

「あれも、これも、できないんじゃないか」

と思うことのほうが、意外としっくりくる場面って、あるのかもしれない。

 

人は、ときには「よくなる」のにも、かかわらずだ。

 

それをまざまざと感じたのは、おいらがSLEという、やっかいな病気になって、ちょっと良くなってきた去年の夏頃の話だった。

 

SLEというのは、正式名称を全身性エリテマトーデスといって、自分の免疫システムが全身の臓器を自爆攻撃してしまう病気だ。

自分のDNAを、なにかの敵だと認識して、自己抗体というのをせっせと作っては、まちがって爆撃してしまう。

病気の機序がなにせ解明されていないものだから、よくなったり、悪くなったりを繰り返す。死ぬことは少ないけれど、ひどい場合には、1日のほとんどを起き上がれない人もいる。

 

この病気を発症し、入院してしばらくは、処方された大量のステロイドによる精神昂揚効果もあって、おいらはゴキゲンだった。

しかし、薬が減ってきて、自己抗体(病気の指標だ)がさがってきて

「遠藤さん、順調に回復してますね~」

と主治医に言われるようになると、おいらの若干クリアになった脳みそには、新たな恐怖が芽生えた。

「でも、そのうち、また悪くなるんでしょ」という、恐怖だ。

 

血液をとって、その結果が、悪くなってたらモチロンいやだ。

思うように出歩けないし、具合が悪いのはおそろしい。

とはいえ、結果がよくなっていても、「このままよくなるんじゃないか」と、少しでも希望を持ってしまうことが、怖かった。

だって、希望を持ったら、いつか「再燃」して具合が悪くなったときに、絶望してしまうんじゃないか、と。

 

「よくなるのも、こえーな」と思いながら、私はこの1年間、順調に回復状態をキープしている。

もちろん、生活がすっかり発症前と同じ、というわけにはいかない。

おって、このブログでも書いていくけれど、もろもろの調整やら、考え方の変化やらは、余儀なくされた。

それでも最近思うのは「よくなるのも、こえーな」と思いつつも、1年間、とりあえず生き延びたってことだ。

 

1年が2年になって、5年になって、10年になっていけばいいだけ。

その間には再燃するかもしれないけれど、良くも悪くも未来なんて想像できないのだから、これまで歩んできていることの中に、なにかが見つかれば、それが自分にとっての「生き延び方」なんじゃないかと思ってる。

 

とりとめがないけど、このへんで。

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